ルーマニア生まれの文化人類学者イリナ・グリゴレさんのエッセイ
「優しい地獄」を読みました。
社会主義政権下のルーマニア。特にイリナさんの田舎の祖父母が営む昔ながらの暮らしについては、まるでおとぎ話を読んでいるような錯覚を覚えました。
本の中でイリナさんは「男に生まれたかった」と、何度か書かれていました。
当時のルーマニアで女性として生きるのは過酷なことが多く、読みながら、同じく社会主義政権下のロシアの女性たちの「戦線体験」を記録した
「戦争は女の顔をしていない」を読んだ時に覚えた、胸が詰まるような気持ちが、再び湧き、しばらく頭から離れませんでした。
わたしは昭和の時代、田舎の商店街の生まれです。
「女の子は20歳過ぎたら早々に結婚するのが当たり前」とされていた頃、田舎では特にその風潮が顕著でした。
しかし、母が三世代大家族の「嫁」として苦労している姿を見て、幼少期から「結婚なんか絶対したらあかん」なんて思ってました。
兄や弟と比べて、女は損やなあと思うことは確かにあった。けれど、だからと言って「男になりたい」と思わなかったのはなぜだろう。
2つの理由が浮かびました。
1つめ。
わたしの小・中学時代はいわゆるヤンキー全盛期!
男の子たちは何かと喧嘩早くて、それも実にくだらない理由で、殴り合いが始まり、どんなおとなしい子でも一度は喧嘩に巻き込まれていました。
あんなんに巻き込まれて痛い思いをするのはごめんだ。
女の子のデメリットを遥かに上回ってあまりあると思いました。
もう1つは、素敵な女の人をたくさん知っているから。。
よく笑いよく働く女性、自分のことを後回しにしてでも人のために動く女性、辛い時、寄り添い、一緒に泣いてくれる女性。
そんな女性たちが大好きだから、男になるより、女として、女性たちがちょっとでも生きやすい世の中になるにはどうしたらいいだろうかと、考える方が遥かに楽しい。
何かと憤ることも多いけれど、それでも、以前に比べたら、ずっとマシになっていると実感します。
例えば、わたしが会社に入った頃「女子社員はスカートを履くべし(ズボン禁止)」だったんですよ。
今考えたら「なんそれ?!」ですよね^^;
変えたのは、わたしの同期でした。
彼女の主張は初めは物議を醸しましたが、間も無く女性がパンツで出社する姿は当たり前の光景になり、そんなきまりがあったことすら忘れられてしまいました。
無数の小さな、でも真剣な、切実なたたかいが、たくさんあったはず。
過去の女性たちの汗と涙の上に、今がある。
その事実が、何よりの支えになってくれています。