「ブス」ーー不美人の人間にとって、なんだかなあな世の中です。顔の作りの良し悪しで、世間の対応が変わる。特に男性から品定めされるようなことを言われてきました「君じゃなくて、隣の可愛い方」とか。言われるたびに傷ついてしまう。そんなことでいちいち傷つく自分にいい加減慣れろよしょうもない人間やなあって思うし、二重に辛い。
ある旅芝居のステージで。ゲスト歌手(男性)がお客さんに向かって、
「はい、べっぴんさん、べっぴんさん、一人飛ばしてべっぴんさん」と、客いじり。言われた客も「きゃはは」と笑う。
冗談と笑って流すべきなのだろうか。わたしはいつもこころの中で凍り付いてしまいます。
こういうこと言うの、そろそろ、なんとかならないかなあ。
百歩譲って気にしないって言う人でも、気分良い人、いないと思う。違いますかね。。。
「M-1グランプリ」という漫才のタイトルがあるのを、これまで一度も見たことなく過ごしていました。すごく人気があるようで、毎年開催時期になるとツイッターでM-1の話題がたくさん流れてきます。2018年12月、こんなツイートが目にとまりました:
"和牛の「もし俺がゾンビになったら殺してくれる?」というネタ。設定が意味不明だし、どこまで「シュール」になるのか、まったく読めないので、前半はあんまりウケてないんだけど、「ああ、そういうことね」「そうなってくのね」となると、観客みんなに同じ光景が見えてくる。"
"ジャルジャルの「国名わけっこ」も、最初まったく意味がわからない架空のゲームで遊んでるだけ(そして最後までそれだけ)なのだけど、「わかってくるとおもしろい」。コンセンサスってライブで、リアルタイムで、その場でつくってくものなんだよね。"
"それに対して「ブスやろ」「しゃくれやん」「ハゲてますから!」。笑いを取る側が「ここらへんは難しいこと考えずに笑えるんじゃないか」と完全に、客とのコンセンサスを読み間違えてるんだよね。というか、コンセンサスは最初からとれてると間違えてる。"
"実はハゲやブスでコンセンサスとるほうが、相当難しい。ハゲ=ネタにしたら即笑ってくれると思いがちだけど、どこをどこまでどう笑っていいのか、その人のキャラクターとの兼ね合いもあるし、その人がどんなキャラなのかを「わからせて」からじゃないと笑えない。"
(以上、森哲平さん
@moriteppeiのM-1関連ツイート)
これを読んで、わたしは、なんばグランド花月とよしもと漫才劇場へ足を運びました。
決して品行方正ではなくカオスはカオスだけど、森さんのツイートで言われているように、かつてと比べると確かに「笑い」の扱いが変わってきている…と思いました。
例えば、シャンプーハットというコンビの漫才で、わたしは大笑いしたのですが、なんでそんなに笑ったかというと:
「かっこええ男になるにはどうしたらいいと思う?」
「シェイカー振れるようになったらかっこええんと違うか」
「それやったら俺めっちゃ得意や」(シャカシャカ振るマネ)
「さすがこいちゃん、なんでもできるなあ。若い時に苦労しただけある。泣きながら公文行ってただけのことあるわ」
・・・など、いい大人の男同士が、しょーもないことを本気で(もちろん演技ですが^^;)褒め合うのが、ほのぼの&バカバカしく、「人間あるある」で面白かったのと、よくあるツッコミの人がボケの人を「アホボケ」とか貶すこともなかったから。その逆で、褒める事で笑いを作る。
また、毎日生の舞台が繰り広げられることーー
芸人さんごとに出囃子がなり、サンパチマイク1本、5分間、しのぎを削るステージ。テレビで引っ張りだこの芸人さんもみんな通常公演の一コマを務めていて、一所懸命応援するファンの方がたの様子にも、胸を打たれたのでした。
(続く)