図書館で借りて、なんども読み返しそうな本は手元に。
加藤秀俊氏著「メディアの発生 聖と俗をむすぶもの」
この本もなんども読み返したい文章があって、、図書館に返したあと、あたらめて買いました。
和歌や謡、放浪芸などを「メディア」の1つと捉えて見れば…という話、胸にすとんと落ちました
いろいろな土地を訪ね歩く記録でもあるので、読むうちにその地を訪ねたくなる本でもあります。実際、この本を読んで秋田県の康楽館という明治時代のお芝居小屋があることを知り、念願叶って昨年訪ねたのでした。
618ページとボリュームのある単行本
以下、同著の第8章「祝福のうたー『ほかひびと』の諸相」より引用:
"苦難と、文字どおり命がけの精神で長岡瞽女の一群が「八十里越え」を毎年の定例の旅にしたのはなぜだろうか。瞽女が貧しい漂白の女性たちだったから、それだけの労働を余儀なくさせられていた、というのもひとつの解釈である。いや、多くのひとはそうかんがえる。
しかし、瞽女とその周辺についての幾つかの書物を読んでみると、どうもそれだけではないような気がしてきた。たしかに瞽女はその障害のゆえに「差別」され「貧困」のなかに追いやられた社会の底辺をさまよう不幸な女性たちだった、とみることには理由がある。じっさい、瞽女の聞き書きの記録者のなかには、ある種の思い込みによっていやがうえにも瞽女の悲惨さを語るひとびとがいる。それをわたしは否定しない。
だが、わたしにはかならずしもそうおもえない節がある。なぜなら、こうして毎回巡回してくる瞽女をたのしみに心待ちにしていた村人たちがいたからである。山を越え、谷を渡って僻地まで不自由な旅をくりかえすのは、決して彼女たちが貧困だったからだけではない。待ってくれているひとびとがいるから、その義務を果たす、という目的があったからだ、とわたしはおもう。回顧録のなかで瞽女たちは「旅」ということばで語っているが、彼女たちの正確な用語では、「旅」ではなく「行(ぎょう)」であった。そこには修験道の行者たちの「修行」にちかい意味がこめられていた、とわたしはおもう。それほどに瞽女はみずからの使命感をもち、村人たちはその来訪を期待していたようなのである。"
(加藤秀俊著「メディアの発生」中央公論新社/2009, 第8章「祝福のうたー『ほかひびと』の諸相」より P.375 - P.376)