鹿島順一劇団座長 三代目鹿島順一さんが亡くなられた。
聞いた瞬間「嘘でしょ?!」と思ったけど、本当だった。
5月29日、福岡の劇場での告別式に馳せ参じ、お別れをさせてもらった。
三代目の舞踊で、ずっと心に残っていることがある。
2年前の秋、春秋座の大歌舞伎の公演を見て、その足で夕方、大阪十三の遊楽館へ行った日のことだ。
春秋座の大歌舞伎のチケットが9500円。宙乗りや早替えなど、見どころの多い演目で、すぐ売り切れると聞き、発売日にネットから予約の手続きをした。「座席選択」の画面を前に悩んでいると目の前で「空席」表示がみるみる無くなるので、慌てて予約。数分で全席完売だった。
ーー白状すると、評判の演目を見たい気持ち半分、もう半分は知っておきたくて行ったのだ、大歌舞伎の今を。。大衆演劇の木戸銭の何倍もするチケット代を支払って。
当日、果たして。
そらぁ端正で豪華で良いに決まっている。。が、自分にとってであるが何かが足りない。なんだろう。。劇場の殿堂然とした雰囲気にも所在がなく、いつものあのお芝居小屋の空気が恋しかった。
春秋座の公演は11時に始まり、14時には終了。その足で大阪へ向かった。
十三、遊楽館。木戸銭1400円。お客さんは15人くらいだったろうか。空席が目立ち、少し寂しかった。
17時半開演。第1部ミニショーの幕があくと、三代目が女形で立っていた。
かかった曲は、つじあやのさんの「風になる」だった。
わたしはこの瞬間が、忘れられない。
ピンクの着物を着て目を閉じた三代目は、むちゃくちゃ可愛らしくて、胸を突かれた。
捧げるように祈るように踊る。
人がいようといまいと関係なく、咲き続ける花のように。
大歌舞伎と比べて勝手に悔しがっていたわたしのしょうもない考えも不純さも全部、三代目が吹き飛ばしてくれた。
本当に可憐な、一輪の花のような舞踊だった。
大歌舞伎と旅芝居、それぞれ目指す世界があり、比べるものではないと分かっていても、、旅芝居の方に、心を掴まれてしまっているわけ、それはとっても単純なことなのです。
いいことばかりじゃない。汚さ、無理、矛盾。
それでもなのか、だからこそなのか、あるのだ、ひとの痛みと優しさが手付かずのままに。
だから安心する。自分みたいなものでもここにいていいのだと思える。
難しいこと抜き。頭より心の臓で受けとめる芸の世界。
日々の慰めであり、笑いであり、毒であり、祈りであり・・
古来からそこが大前提なのであって、表現手段として、お芝居を柱に、時にK-POPだったりと、あの手この手で見せるめくるめく夢の世界は、どこまでいっても
ひとよ、単純であれ!というメッセージのように、わたしには思えるのです。
三代目らしさが溢れる浪曲舞踊「俵星玄蕃」三代目!お聞きしたいことがまだまだありました。寂しくてなりません。
今はどうかその魂が、どうかどうか安らかにありますよう、祈るばかりです。