祭りは「まちのはな」だ。
奈良県吉野郡大淀町商店会が中心となり
毎年開かれる「吉野川水神祭」
7月になると 父は店の仕事もせず
祭りの準備に奔走していた
メイン会場である
岡崎商店街は
下市口駅前のメインストリートで
霊峰大峰山や
天川村行きのバスの発着地であり
吉野の交通要所としてにぎやかだった
お祭り1日目のメインは灯籠流し
吉野川に何百もの光がゆくのを 橋の上から見る
2日目は花火大会
「ことしは頼んで特別大きいのをあげてもらった」と
得意げに語る父
徳島から招待した阿波踊り連に続いて 踊った年もある
商店会や地元有志が(仕事そっちのけで)会場を設営し
灯籠を流す役から ゴミの処理まで引き受けた
祭りの翌朝 庭は空き缶でいっぱいだった
その後 大型スーパーができて
人の流れがロードサイドへと移り 商店街は衰退
祭りも縮小の一途をたどり 2001年
資金も人手も尽き 「吉野川水神祭」は中止となる
翌年「花火がないのはあまりにさみしい」という声により
「
大淀吉野川花火大会」として復活
主催は「花火大会実行委員会」
夜店と花火の1日だけのお祭りとして
町の出資で存続されることになり 現在に至る
テキ屋と花火業者に町がお金を払って
お祭りをやってもらっている
なんだかなあと思うが
みなにぎやかに繰り出して 通りは大混雑である
花火と夜店
結局みんなが欲しいのはそれだけだったのかな
お祭りに文化や地域産業活動の推進
といった主旨がなくてどうする
なんて 言う方がヤボかもしれない でも
ここに生まれ育ち父母たちの姿を
見てきた私は考えずにはおれなくて
祭りが「まちのはな」なのは
日々の営みが活き活きとあってこそ
花火のはなが 「まちのはな」ではないよね
2005年「大淀・吉野川花火大会」
私から見た記録として お届けしたい
祭りの日に 父が家にいることに慣れたのは いつからだろうか
写真右下 自家製の柿の葉すし 吉野地方の保存食店に背を向けた格好で夜店が並び 歩道はゴミと資材置き場に1年で最高の人出を記録するこの日 ほとんどの店はシャッターを閉める
うちのように 開けていても黙殺されるから友人の手による 美しいのれん花火はどこまでも美しく いろんな思いをのみこみ
天空で あざやかに壊れてみせた