朝、野球の試合に行くのに
もたもたしているこどもに
「はよ、しい」
と声をかけました
「これ以上早くできへん」
と言い返すので
「やればできるやろ」
と言うと
「でた。また『やればできる』や」
しまった、と思いましたがもう遅い
こどもが歌い出しました:
「『やればできる』『やればできる』
なんど聞いたかわからない
おとなはみんな言う
『やればできる』『やればできる』
ばっかりや
どんな世間知らずでも言う
『やればできる』」
(和太郎作詞作曲)
まいったな。
上記の例はともかく
「やればできる」って
簡単に言いすぎているなあと
思っていたところでした
できなかったときどうするか
そこからが正念場だったりしますよね
『優劣のかなたに 大村はま60のことば』
という本を図書館で借りてきて
全身熱くしながら読んでいます
"子どもたちに、安易に、誰でもやれる、
やればやれる、といいたくない。
やってもできないことがある
—それも、かなりあることを、
ひしと胸にして、
やってもできない悲しみを越えて、
なお、やってやって、
やまない人にしたいと思う。"
はまさんの教え子だったという著者・苅谷夏子さんが
何十冊の著書のなかから60選ばれたことばは
当然ぜんぶ良いので、それからわたしが選ぶなど
おこがましくて出来ませんが、
さいしょにページをひらいて読み入った箇所を
少し引かせていただきます:
"24.力を見る目(P.95)
(文学の)鑑賞とか味わうということは、程度の高い心の世界ですから、兼ねて表現力も養うというのはちょっと無理。表現力は大事ですけれど、別の機会を用意して、それを養いたいと思います。その力を見る目が混乱しますと、子どもたちは不幸せです。『教室を生き生きと1』"
はまさんは「よくできる子もできない子も、
平等でなければならない、鑑賞の世界です」
と言われたそうです。
「爪王」という物語の、鷹ときつねが死闘を
繰り広げる場面を読み合ったという授業の、
こどもたちの表情を追ったくだりが、圧巻でした。
“…クラスみんなが興奮した。頬を紅潮させて、何度も何度も飽きずに、互いに声を重ね合った。入りそこなうまいとする緊張で胸をドキドキさせているのがわかった。からだじゅうで、ことばで、文字で、一つの世界を受け取っていた。子どもたちは、ただ文字によって、見たことのない大自然を見、その中に身をおいて、この激しい場面を体験している。絵1枚使わずに、
ただ、文字を通して。(全集四巻)"
そして、
"こんな取り組みに夢中になって、それでこの「爪王」の授業は終わりである。頬を赤くしたまま終了。"
なのです。
“(ごんぎつねの)兵十はどんな気持ちでしたでしょう、などというのは、言ってはいけないことばだと、私は思っています。聞くものではないのです。だって、書くとすれば、それは作者が一番上手に書いてしまっているから、何とも言われません。
(「大村はま国語教室の実際 上」)"
苅谷さんは、この章を次のことばで結んでいます。
"心が動いて息をのんでいる、目をうるませている、胸がいっぱいになっている、そういう子どもに、さあ言え、なにを感じているか言え、と迫らない国語教師を、私は尊敬する。"
「優劣のかなたに」の60の至言は
二人の女性が紡ぎ合うことばの贈りもの
自分の普段の至らなさを諭されると同時に
大村教室のこどもたちと同じく
ただただ胸いっぱいになったのでした
【Information】「優劣のかなたに 大村はま60のことば」苅谷夏子著 筑摩書房
定価:1,890円(税込)
刊行日: 2007/03/08 判型:四六判 ページ数:240
ISBN:978-4-480-86376-8
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