2012年7月16日夕方 京都精華大学にて
上野千鶴子さんの講演会「こんな社会に誰がした?!」
を聴講させてもらいました
示唆に富んだ話で あっという間の1時間半
このごろ思うこと
こういった場では 教えられたことを追うのではなく
ひたすら「じぶんで考えよ」と言われているのだなあと。
(でないと「不足言い」の「あげ足とりチャン」になってしまう
他人を指摘するのはいくらでもできる。そんなことより
不完全でもいいから、自分のことをしなさいと)
聞いたことをちゃんとまとめようと思ったのですが
暑さでへばっておりまして、遅々としてすすまず
そうこうしているうちに忘れてしまっては元も子もありませんので
以下、メモから抜粋ということで載せさせてもらいます
なにか気になる箇所がありましたら
ぜひぜひおっしゃってください。
補足させてもらいますので!
(ノートのメモ書きから)
●「こんな社会に誰がした!?」
まずは「こんな社会に誰がした?」という問いについて。
誰が誰に対して言っているのか?という確認から。
「『こんな社会に誰がした?!』と言えるのは
(聴講者のなかでは)学生だけです。
あとの大人のみなさんは、言えません。
この言葉を言われている側だという自覚を。」
成人式を京都大学のバリケードのなかで迎えたという上野さん。
大人たちにせまった、「こんな社会に誰がした。責任をとれ」と。
それが、いまの原発事故をおこした世代だと。
いま、詰め寄られている立場にあるという自覚。
福島の事故が起こったとき、「ああやっぱり」と思った人がいっぱいいた。
とめられなかった。その責任は自分たちにある。
「反省はしないよりした方がいい。後悔 臍(ほぞ)を噛む思いです。」
●団塊の世代と、いまの若者
団塊の世代は、自分の成長と時代の成長期が一致していた。
未来は今よりもよくなると思っていた。
90年代生まれのひとは、自分の成長と時代の停滞期が一致。
未来は今よりも悪くなると思っている。。。
「自分が成長するのに社会が衰退している。
それがどんなことであるか、想像してください。」
●「こんな社会」になったのは、目先の利益を優先した結果。
次世代を育成できなかった。
日本の学校教育。正解が1つで、人と同じことをするようにしむけられる、
強烈な同調圧力。。。
「そんななかで育てられたら人格変わりますよ」
●「意見」は「
異見」ともいう。
●「津波てんでんこ」とは究極の他者信頼のことばである。
●日本が泥船ならば、それに義理だてして心中することはない。
逃げよ、逃げていい。世界のどこかに逃げて、生き延びよ。
勝たなくていい、負けないで。
●負けないでいるためには、ともだちをつくろう。
同じ価値観のひとが必ずいる。出会って。つながって。
●「上野さんはこの春から立命館大学でも教えておられる。
京都市民になっていただけないのですか」という質問に対して:
いまわたしは東京都武蔵野市の住民。
武蔵野市は日本のなかで福祉先進エリア。
「リバースモーゲージ」などの仕組みがある。
ここならお一人様、高齢になっても生きていける。
「武蔵野方式」がひろがってほしい。
もちろん京都市にも提案したことがある。が、相手にされなかった。
「そんなん京都に合いまへん」との一言で。
●結論というか、タイトルに戻って、、、
「こんな社会に誰がした?」という問いを投げるよりも
「これから先どうしたいのか」と自分自身に問うてみよう。