坂本小九郎さん著
「版画は風のなかを飛ぶ種子」(筑摩書房 1985.10)372ページ。なかなかボリュームのある本です。家で読んでいるだけでは進まないので、カバンに入れて(無茶重い^^;)電車の中で読みました。
好きなところがたくさんあるうち2つ、引用させてもらいます。
1つは「自治体の首長が政策を考える時の指針にしたら良いなあ」と思った箇所。
地域性とは、その地方の風俗や風景を説明的に表現することではなく、子どもたちの生活全体の中で視界にあるものから、その視界を越え、背後の世界、子どもたちの願い、希望のようなものを、現実の認識を土台にして、視点を遠く遠く解放し、表現を探求することなのである。(P.350「イメージの海へ」)
もう1つは、過去は消えないという悲しみ。失敗や恥や罪の意識。それでもいい、苦い矛盾を抱えながらも、みなが理想のそばに居ることを諦めることはないのだと。
「少国民が描いた絵」
(幼稚園の頃と国民学校1年か2年の頃に描いた絵を前にして)確かにわたしが幼い時に描いたものである。意識からはすっかり消えていたものが目の前にある。「軍犬利根」「戦車隊」「波をかき分けて進む軍艦」・・・とりわけ「軍犬利根」は、丁寧に描き込まれ、真剣にクレヨンで彩色してあった。まさに少国民だった証拠であった。
そのことがどんなに悲しかったか。平和を唱え、発言し、子どもたちに語るとき、たとえ少国民として教育される側ではあったものの、ある後ろめたさと心の痛みを感ぜずにいられないものであった。(中略)私は現在、平和について語るとしても、ここに立たなくてはならないことを思っている。...
子どもが大人になって、むかし自分の描いた版画や絵を見て、その中に、精一杯の真実を見出せるような指導だけはしたいと思う。(P.141-P.144 「海の怪奇」がイメージで問うたもの)
2つだけと言いつつ・・あと2つ、こどもたちが書いた文集より:
「私の絵がこの版画の中になかったら、さびしくなってしまう。それにあの人のかいたイカも、それにサソリも…」
「私は、先生にどう彫ったらいいかきかないでも、ひとりで彫った。ひとりで彫った。そして、私の人のまわりには江理子さんの彫った草花を散りばめてくれた」
(p.39 「虹の上をとぶ船」完結編の作品を前にして話す )