お正月 実家で 久しぶりに百人一首をしました
息子が学校で百人一首大会があるのでその練習と
他にすることもないしということで
父が読んで 母とわたしと息子が取る
散らばった札を見ていると目がチカチカするし
反射神経も衰えているのを実感させられましたが
楽しかった。
また、父がよみあげる和歌に、、いちいち、しみじみしました。
百人一首の作者の多くは貴族 とはいえ
その暮らしぶりは 今の時代の感覚からしたら
みーんな「庶民」なんですよね。
なんとつつましやかで、潔くあることだろう。
泣いて袖を濡らせば沖の岩に思いを馳せ
恋すれば 月を慕い
島に流されたひとは故郷にこがれ
お坊さまは侘住まいを切々と
詠まずにおれなくて 歌にしたためた
そしてもう1つ自分のことで気づきました
むかしバンドをやっていたとき 書いていた歌
その歌は、この家と仕事場の往復で書いたのだったと
冬の夜 なかなか着かない電車のなかで
都会のひとに比べたらどうもみじめな気持ちで
窓の景色をながめながら(真っ暗で何も見えないのですが)
書いていた
百人一首の歌と比べるのはどやねんと思いながら
書かずにおれない詩が、わたしにもあって
それはきっと誰しもあるはずで、、、
歌が生まれるのはどんなときだろうか
働くとき
うれしいとき
恋をしたとき
なにか足りないとき
さみしいと感じるとき
ひとりでいるとき
もっとも生まれるものかもしれません