先日、仕事の用で京都市東山区の
法住寺さんへ参りました。
約束の時間より早めについたので、
ふらっとお堂に入りました。
お堂には3人、ご本尊にむかい一心に祈るかたがありました。
その姿は、軽い気持ちでお堂に入ろうとしたわたしの足を
とめさせるものがありました。
うずくまるように伏して祈る背中。
むかし訪ねたインドやネパールの寺院を思い出しました。
法住寺さんの縁起を見ると「身代わり不動さん」と呼ばれる
不動明王がご尊像で
「あらゆる災厄から、身代りとなってお護りくださる」
と書かれてありました。
「お不動様が身代わりとなって
病気や痛いところを受け取ってくださる」というのです。
いま、実家の父が強い痛みを抱えていて、心配がつづいているので
わたしはこれはどうも呼ばれたのではという気がしました。
勝手なものですが...
それで、痛いところに当てると良いという「あて布」を求めました。
封筒にいれて授けてくださったので、帰りの足で、郵送しました。
いま思えば写真を撮っておけばよかった。
すぐに送りたいいきおいで投函してしまいました。
父はお護りのようなものを持ったことのない人間なので
これを受け取ってどう思うかなと気になっていましたら、
母からのメールで「素直に喜んでた」とのこと。ほっとしました。
「わたしらもどこかお参りにいかなあかんのとちがうかと思ってたとこ。
あなたの機転に感心!」と母。
わたしはこれまで「拝めばいいなんて安易なんでは」
という先入観を持っていました。
でも実際はちがいました。
悩んで、悩んで、どうしょうもなく、ここに来ているのです。
万策尽き、藁にもすがる思いで。
そうでなければ、あのような背中にはならない
あの日、お堂のなかで見た、拝むひとたちの
身を投げ出して祈るとはこのことだという背中には。
あのような空気がただようわけがない、
あの日、何も考えずにお堂に入ろうとする者の足を
とめさせるような、ただならぬ空気が、
ただようわけがないのです。
"あらゆる災厄から、身代りとなって" ーー
お不動様、ひしひしとありがたいです。
お護りください。どうか、お護りください。