(以下、長いですが お付き合いいただければありがたいです)
6月5日 室町二条上るの
さいりん館で開かれた
「つながろうマーケット」にお邪魔しました。
前日たまたま
ママネのまなみさんに電話したとき
「明日京都に行くよ〜こんなんあるよ〜」と教えてもらったからでした
たまたま参ったのが午後3時 これから茶話会がはじまるということで
ちょっと覗くつもりが お話が聞きたくて そのまま参加させてもらいました
「つながろうマーケット」主宰者
吾妻由梨さんを囲んで茶話会
由梨さんは昨年3月の東電原発事故後 福島から三重に移住してこられ
いま、新しい地で暮らしながら「つながろうマーケット」という
福島在住の作家の方々の作品を紹介販売することを通じて
福島と 人をつなぐ取り組みをされている方です
由梨さんにお聞きした話を少し書かせてもらいます:
・福島に暮らしながら、事故が起きるまでは
原子力発電というものにあまり関心を持たずにいた
3月12日東電事故が起きたあとも普通にこどもと外を歩いていた
・しかし高い放射線が確認され こどもが危ないと3月15日避難を決意
受け入れ先が定まらないまま とにかく出発したところ
伊賀の
愛農学園農業高等学校が受け入れてくれた...
福島から他地域へ避難された方の半分は福島に戻られたそうです
理由は仕事のことや 残っている家族がいるからなど
「放射線は電子を分離させると言いますが、
人も、分離させるのだと思いました」
という由梨さんのことばが、ずしりと重かったです
由梨さんは 自然派のスキンケア製品のお店をされていて
たくさんの人とのつながりはお店を中心としたもの
家だけでなく 人のつながりという大きな財産をも残しての移住でした
お客さんから
「わたしたちのおかげで商売が出来ていたのではなかったのですか」
というメールを受け取ったこともあるそうです
しかし はじめての土地でたくさんのひとが受け入れてくれたーー
「(移住先で)明日から学校に行くのにランドセルもないんですよって言ったら次の日近所のひとが持って来てくれて。
ひとは誰かのために、こんなにも助けようと動いてくれるのだということに、
気づかされたのもまた、この事故がきっかけでした」
避難された方を受け入れられた愛農学園は
わたしもみんぱくのシンポジウムで話を聞いて衝撃を受けた
三重県伊賀にある、全寮制のすごい農業高等学校
約50人の避難された方を受け入れられたそうです
由梨さん家族もそこで丁寧に作られた食事をいただいたことから
「自分で種をうえるひとになりたい」という思い、そして
「福島にいるひとのために出来ることは何か」と考えて
この「つながろうマーケット」をはじめるに至ったそうです
由梨さんの言葉は、、何と言いますかーーひとことひとことが沁みました。
言葉にくっきりと、力づよい輪郭があり、視覚的にもせまってくる感じなのです。
なぜこれほどまでにガツンとくるのだろう?と考えていたら
まなみさんが言っていたこと:
こころで思ったことと行動がつながっているからだと気づきました。
かたや、わたしはどうだろう。
わたしは土地に縛られた人間で
いわゆるふるい社会にとらわれた人間であり、
住み慣れた土地を離れるなんて出来ないとビビっている。
へたれで、煮え切らず、ぐだぐだ悩んで、生きているわたし。
でも、これだけは正面から言える。
「分離した電子は戻らなくても、ひとはまたつながることができる」
「つながろうマーケット」をみて、つよく思いました。
思いと行動を一致させること。
それは、もしかしたら、
むりやりそうしようと思っても出来なくて、
ほんとうにしたいとき、しなければならないときがきたら
そうさせてくれる何かがちゃんとやってきて 助けてくれるのかもしれない。
その「なにかの訪れ」をキャッチできる状態なら、作れそうな気がします
だって、この日も、たまたまが続いて、あの場所におれたのですから。
(愚痴を聞いてもらいたくて電話したことは内緒にしてね、まなみさん笑)
またお会いしたいです。できそうな気がします。