「ズリ山」のある
三重県熊野市紀和町にて
(2009年5月撮影)
小さいときから わけもなく
「鉱山」に反応するわたし
ジョン・フォード「わが谷は緑なりき」が
ベスト1シネマかもしれないくらい
鉱山が舞台の映画や小説に
つよく揺さぶられる
もしかしたら前世は鉱山夫
だったのかもしれません
というわけで 昨年も訪れた
紀和鉱山資料館へ
8月 ふたたび参りました
熊野市街から車で小1時間ほど
山あいにある紀和町は
古くは奈良の大仏のための銅を産出した
鉱山のまちとして栄えた地
鉱山のしごとを再現する模型を
見ながら思いだす
大衆演劇のお外題で主人公が
ひょんなことから多額のお金を
工面しなければならなくなり
1年間 佐渡へわたるというくだりがあり
「金山掘りは地獄と聞くがしかたねえ..」と
周囲の反対を押し切り出発するのですが
この主人公の決意の重さは
鉱山の労働のことを知らないと理解できない
はたして 今の子どもに通用するだろうかと
落語しかり 古典の情景を肌で感じるには
難しい時代になってきました
こちら紀和鉱山資料館名物(?)
地底行きのエレベーター!
もちろん演出でして
2階から1階に降りるだけです
しかし
「本当に地底に降りたと思って
泣く子もいました」と係のかた
まあ 降りたところに
こんな人がいますから
さもありなんな話です
↓ ↓ ↓
(模型による鉱山事務所の再現とイケメンの受付係)
さて 資料館から少し奥にある
「湯ノ口温泉」
これがまた素晴らしい温泉
湧く湧く45.7度のかけ流し
全国温泉の水質部門で
人気投票ベスト3に入るそう
その温泉に行くのに
トロッコ電車に乗りました
トロッコや線路はもちろん
鉱山時代のものです
こんなに小さな車両に
屈強な男たちがわさわさと
乗っていたなんて
どんなんやったやろう
夏休みなので子連れが多く
にぎやかに乗車したのです が
温泉を浴びたあとの 待ち合いで
こんな会話が聞こえてきました
「ねえパパ、帰りもあの電車に乗るの?
うるさいばっかりでもうしんどい」
たしかにお世辞にも快適ではなく
暗闇が怖くて泣く子もいました
「もうイヤ」
そう思っても仕方ない
しかし もしこの子たちが
鉱山資料館を見たら
かつての様子を知ったら
また違った感想を
持ったのではないでしょうか
鉱山資料館を見てトロッコに乗ったのは
わたしたちだけだったのです
封鎖された坑道口
200mほどすすんだ先には
構内の事務所が今もあるそうです
鉱山資料館の展示のなかで
忘れられなかったのが
かつての鉱山の暮らしの写真です
なんてパワフル!震えました
見ながら 以前に図書館で借りた
山口勲さんの写真集
「ボタ山のあるぼくの町」を
思い出してならず
自称・前世鉱山夫としては
思いきって買ってしまった
天若村を撮られた新保隆久さんと
山口勲さんは とても近い世界に
思えてならない
ひとが、ただひととしてある写真
巻頭文より:
「筑豊の人たちはみな土門拳さんが嫌いだ。
それは人格に対する拒否反応ではなく、
筑豊をあそこまでピシッと写真の中に切りつめて
”悲劇”を定義したことへの
いらだちのようなものであろうか(中略)
もし土門さんが山口さんと少し時間をかけて
筑豊を歩いていたら、きっとまた違った
写真集が出来ていたに違いない..」
(映画監督・本橋成一氏)
このくだりを読んで
トロッコで一緒になった子どもたちと
大家・土門拳さんの姿を重ねるという
とんでもないわたし 許してください
なにせ前世が鉱山夫なもんで
【Information】紀和鉱山資料館熊野市紀和町板屋110-1
JR新宮駅より紀和町方面行きバス64分板屋下車
紀勢自動車道・紀勢大内山ICから約130分
9:00~17:00 月曜日・祝日の翌日・12/30~1/1休
紀和町サイトの紹介文より:
"紀和町の鉱山の歴史は古く、奈良時代、東大寺の大仏が造られた時も紀州地方から多くの銅が献上されたと云われている。昭和53年に閉山したこの鉱山の歴史を紹介しており、採掘場の再現、竪坑を地底深く下りる疑似体験ができるエレベーターなど、当時をリアルに再現したユニークな資料館。"
詳細は
紀和鉱山資料館オフィシャルサイトをご覧ください
「ボタ山のあるぼくの町―山口勲写真集」海鳥社 (2006/04) ISBN-10: 4874155731
個人の方のブログ
「記憶の彼方へ」に詳しい内容が掲載されています